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幼馴染とはみな地元を離れているので、最近は会っていない。

学生時代までは年末と正月には挨拶に幼馴染の家に行っていたのだが、最近はそういうこともなくなった。

今は企業の法務部門で働いている幼馴染の親とは定期的に会うので、そこから幼馴染の動向を聞くことが多い。

俳優の幼馴染がこのドラマに出ていたとか、CMに出ていたとか。
医者の幼馴染は子供のころ、解剖がすきだったとか。
世界的作品に子役で出た幼馴染はこうこういうわけで映画の世界から手を引いたとか。

僕が進路で不安な日々を過ごしていた時も、休日にドライブに連れて行ってもらったり、飲みに連れて行ってもらったりと。

この幼馴染の父親は街の情報源で、やくざさんの生涯とか、仕事の話とかをお客さんから聞いた話や夜逃げしていく人に共通する話とか、外ずらと内ずらの話とか、一緒に飲みに行った小料理屋で隣にきていた某企業のオーナーの成功の秘訣とか(オーナーが耳を傾けていた思い出がある)。

中学も卒業していない人であるが、向学進が強いのだ。こういう人が僕が育った路地裏の人には多かったと思う。

ぼくら幼馴染はそういう話を聞きながら、育ったわけである。

医者になった幼馴染が、あのおっさんは麻雀が好きなんだけど、ハングリー精神を取り戻すために、釜が崎に定期的に修行に行くという話も聞いた。

あとでこのおっさんに?聞いたところ、そこに行けば一日のお金しか持っていない人が、生活をかけてマージャンしているそういう環境に身を置くことで、こっちの感度が鋭くなるんだと言っていた。

このおっさん?は日々は勤勉に仕事されていますので、誤解がないように。

また、このおっさん?は、漁師町に育ったこともあり、よく周りの人と夏には素潜りに行く。(うちの父親もなくなる前にはすごく楽しみにしていた記憶がある)

近所には目の不自由のあんま屋さんや高齢者や病気の方がいて、そういう人のケアを周りの住民が自然に行うというのをいまだに続けている。

そういう関係があるから、今だに親族以上に密な関係である。

このおっさん?はやはり向学進が強く、犬養道子氏よろしく、心が外に開いているので情報が自然に集まるのだろうと思う。

商売もいまだに繁盛しているのは、そういう人の気持ちを知ることができるということだろうか。

僕もそういう話に影響されたことから、都市のスラム街(表現が適切でないかもしれないが)を歩くことを続けてきた。最近でもよく歩くのだが、学生時代のあるときから、最低辺で生きている人が生き憎い世の中は、やはり世間一般生きづらい世の中なんだろうなという思いを持っている。

学生時代、外ずらの街は繁栄をしているようなのだが、街に浮浪者が出始めたおり、ぶくぶく太り出した正義派政治家と言われていた政治家(おっさんの外ずらと内ずらの話であろうか、僕は見抜けていた記憶がある、そのうさんくささを。バイトの資材をこの人の頭に落としてしまった思い出とともに)が、汚職まぎれで塀の中に入ってしまった光景や最高権力者が一夜にして権力の座から落ちていく姿を直截に見たりしてその感を強くしたのだが。

学生時代そういう話をしていたら、東京芸大の友人から、高橋さんみたいなことをしている考えているという方がいると留学されていた慶応の助教授を紹介された記憶がある。スラムについて経済学的見地?から研究されていたと思う。日々パリのスラム街に調査に行かれており、シテで会った時も、「じゃあ」とスラム街へと研究に行かれた記憶がある。

僕が今でもたまにそういうところを歩くのは、開高健氏ではないが、シンプルな欲望があふれている感じがするからだろうか。

動物的欲望?

これはいかなる階層でも装いは異なるが、共通しているのだろう。

そういえば、スラム街(日本でもパリでも)住んでいたパントマイムを習得していた女性も、定期的にスラム街を歩く芸大のカメラマンを目指していた友人たちは、単に物価が安いからという理由で住んだり、訪れたりする人もいるのだが。

話がそれたが、人の気持ちをしるために、アンテナはいろいろめぐらせないといけないなと思うこのごろ。そしてたまにはスラム街を歩いて感度を持とうかと思う。

昔読んだくらたまなぶ著『リクルート「創刊男」の大ヒット発想術』(日経ビジネス文庫)にこんなことが書かれている。

人にまったく耳を傾けずに進めてしまうのは、次の三つの場合だけなんじゃないかと思う。 ①公共事業 ②独占事業 ③経営者のアタマが悪い事業(企業) 独りよがりの経営判断に陥らないためには、聞きまくらなくてはならない。

聞くことからプロジェクトを始めたい。そのために、独自のアンテナを持とう。旧式であっても、kusomushiのような誠実さで地道に。

さて、これを読まれてスラム街に気軽に出ないように、危険ですから。

僕の知り合いの友人夫婦は、観光でニューヨークに行き、一歩間違いスラム街に入り、二人の凶漢な男組に絡まれ、旦那さんがレイプされたという話も聞きましたので。

また、僕も海外のスラム街で危険な目にあい、通信教育でならった柔道で禍をさけた思い出が何度かありますので。

ちなみに、芸大のカメラマンを目指していたモテ男の友人××君は芸能プロダクションに内定が決まり、趣味でカメラを続けているという話をかなり昔に聞いてからは縁遠くなりました。彼の作品と思われるものは、小説の著者紹介の吉本ばなな氏の写真(初期ではなく、おしゃれになった)がそうだと思います。

××君、好きなことやってる!!

最近、世間が狭くなってきた。

時の流れと同時にアンテナもビビッド立たなくなった。

学生時代見たジム・ジャームッシュの映画や今敏監督の作品を見ながら、学生時代の方が視野が広かったなあと実感する。

市の輔さんのコメントにもあるように、素晴らしいものを素晴らしいと感じることが生きていく上の根本にあり、そこから商売や教育や文化やいろいろな生の営みが行われていくんだろうなと。

ジム・ジャームッシュの映画を見ていた時期に関しては、面白いものがあるとそこに出かけていく。そんなアンテナを持っていたような気がする。

ある映画が面白ければ、映画監督や映画を目指す人の話を聞き、そこからまた面白い映画を見る。
ある小説が詩が面白ければ、小説家や詩人らの話を聞き、そこからまた面白い詩や小説を読む。
ある写真が面白ければ、写真家らの話を聞き、そこからまた面白い写真を見る。
ある絵が面白ければ、画家らや芸大生の話を聞き、そこからまた面白い絵を見たり、芸術作業を手伝わせてもらう。
ある音楽が面白ければ、音楽家や芸大生の話を聞き、そこからまた面白い音楽を聴く。
ある法律が面白ければ、学者らの話を聞き、そこからまた法律を読む。
ある説が面白ければ、その学者らの話を聞き、そこからまた別の説を読む。
ある記事が面白ければ、その新聞記者から話を聞き、そこからまた別の記事を読む。
ある俳優の演技が面白ければ、その俳優らに話を聞き、、そこからまた別のとがった俳優の演技を見る。
ある経済の話が面白ければ、その学者に話を聞き、フィールドワークに動向させてもらう。
あるパントマイムが面白ければ、パントマイムをしている人にパントマイムを教えてもらい、演じてみる。
ある舞踏家が面白ければ、舞踏家から話を聞いて、また別の舞踏家の舞踏を見る。
ある哲学が面白ければ、哲学者に話を聞き、現場で哲学の授業を受けさせてもらう。
あるスポーツが面白ければ、スポーツ家に話をきき、合宿に参加させてもらう。
ある学者が面白ければ、その学者に話を聞き、勉強会に参加させてもらう。
精神病に関心があれば、精神科の先生から話を聞き、病棟見学(断られたが)を試みたり、学会の参加(学者誘導係のバイトをお願いされた)させてもらう。
あるハプニングが面白ければ、そのオランダダンサーに話を聞き、まったくヒアリングできずに退散する。


等々。

今そういうことの経験が生きているかというと生きていないのかもしれないが、お金もない時代であったが、わくわくすることは多かった気がする。また、世間の業界で今とがっているような人を自然にキャッチしていたように思える。

アンテナの感度がよかったのだろうか。

その頃の知り合いは、僕の今の公認会計士という職業が、もっとも高橋に程遠い職業であると言われ続けられるのだが、真逆に走った感があるのだろうか。

ある海外の小説家のエッセーかを読んで、バランス感覚を取り戻すためもり、公認会計士という職業を選んだのだが、すこし反対側に振れ過ぎてきたのかもしれない。

そのためか、今は自分の仕事のこと以外に視野が広がらなくなっている。いや、仕事の感度もよくないのかもしれない。

反省。

アンテナを張ろう。そして世界を広げよう。

そう思う。


個店の経営者の方は、どれくらいの頻度で試算表なり、決算書なりを見るものだろうか。

本日も休日を利用し、部屋の掃除と資料の整理を終え、今週一日の伝票を切った。

僕はPyxisの『らんらん財務会計2』を使用して、自分の個人事務所とメンバーで営んでいるナ・トワの帳簿を付けている。

ナ・トワの帳簿は1~2か月に帳簿づけしているが、個人事務所のほうは1週間に一度つけている。

貯めると伝票を切るのが面倒くさくなるのと、1か月に一度試算表を見て、財務状況等を確認するわけである。

主に月次比較等の分析をすると、無駄な出費やここはこうしようという部分が見えてくるので習慣としてやっているのである。

よくダイエット中の人が毎朝、毎晩体重計にのって、健康状態を判断するのと似ているのではないだろうか。

肥満であれば、間食を控えたり、運動にいそしんだりとするのであろうと同じように、財務情報を定期的にチェックするのはそういう経営の健康状態を判断するという役割もあろうか。

大学時代の3年ぐらいに簿記の授業を受けたことがある。大学1年のときに少し勉強したのだが、すぐに挫折してこの授業を受ける頃にはすっかり簿記のボの字も思い浮かばない状態が続いた。

この授業も最初の1回だけうけたのみで、あとは出ていない。

要領のいい人に聞くと、ここの試験は毎回同じ問題がでるので、それを暗記しとけばいいということで、前年度試験を受けた先輩から試験問題を入手し、回答を暗記してのぞんだのだが、その頃公認会計士試験委員だった先生が試験の冒頭に、今回数年ぶりに問題を刷新しましたと述べた瞬間、講義室の大半の学生が退場した記憶がある。

僕も問題をみて、まったくわからずに答案を置き、退場した口なのであるが。今思うと、簿記2~3級レベルであったろうか。

そういうわけで、僕は会計や簿記というものに触れることなく、青の時代はすぎたのである。

20代半ばぐらいに、発起して公認会計士試験勉強を始めた時に、簿記に触れることになる。

そして30代後半のいままで、会計で飯を食っているわけである。

ただ、この会計というものを知って僕は、世界の見方を一つ得たと思っているのだ。今まで企業を見るのはイメージだとか、製品だとか、商品だとか、サービスだとかというところでしか見れなかったのが、数時をとうして企業を知ることができるようになった。

たくさんの経営者の方にお会いすることがあるのだが、やはり企業経営がうまくいっている会社の一つの要因としては経営者が数時に強いという共通項があるような気がする。どんぶり勘定ではやはり長続きしないんだという事例にも多く目にしてきた。

個店の経営者は営業、マーケティング、商品政策、仕入、販売、人事、総務、経理をすべてやるわけである意味オールマイティをこなさないといけないわけだ。

数字を知らないではやはり経営をするうえでも、不便なことに遭遇するのであろう。

定期的に数字を把握して、分析してみるという習慣をつけてみると、予防にもいいのではないだろうか。

脱めだぼりっく!会計を目指しましょう。

ビッグイシューの棚を設けようと、本棚を掃除と整理していた。

場所が空き、過去のビッグイシューを斜め読みを始めた。

ビッグイシュー日本版第14号(2004.10.1)に絵と文の執筆者 六斉絵り子さんの記事【絵り子の好きな、A街】があり、そこには商店街のひとこま、ふたこまが載っていて、面白く読んだ。



場所は尼崎の商店街であろうか。

入口に「大衆喫茶」と大きく銘打った喫茶店があるそうで、筆者がそこに入られた。

メニューはすべて金額表示がなく、時価のようだ。

たのんだコーヒーの不思議なコーヒーの味がしたという表現で、学生時代に少し訪れたチェコのひとこまを思い出した。

僕がバスでフランス→ドイツ→チェコに入ったのは1993年3月22日であった。


ベルリンの壁が崩壊して4年であろうか。

マーケットの屋台でかったハンバーガーは日本円にして45円位だった思う。

昼にはレストランに入ったのであるが、おそらくそこは高級レストランであったのではなかろうか。

客は息子とその母親であろうか。読み取るに、ドイツかフランスで働いて来た息子が母親に御馳走しているという光景であったろう。

店員はこれも頼んでくれと食べきらない量の注文を御願いしてくる。

円換算して大丈夫な分だけ、店に貢献させていただいた。

最後にコーヒーを注文してくれとメニューを持って来たのだが、チェコのすばらしいグラスにさも不思議なコーヒーの味がはいっていた。

インスタントコーヒーぽい味で、店員かメニューかにネスカフェと書かれていた記憶があるのだが、ギャグか本当かさだかではない。

チェコのマーケットには人通りが多く、街並もきれいだった記憶がある。

ある学者の先生にここもみたかいと、チェコは中世の街並が残っている美しい街だからと言われ、見落としている部分が多いと後悔している。

新婚旅行ではもう一度行ってみたい場所だ。

だれか一緒に新婚旅行でプラハに行こう!!

そんなことを不思議なコーヒーの味から思いました。

以前にコメントを頂いた尼崎の三和本通商店街の市の輔さんががんばる店を支援するような環境づくりをするという意味のことが書かれていました。

これはまさしくがんばる人を応援するという行動規範や振る舞い方といった組織文化、あるいは商店街文化を作っているのだろうと思います。

市の輔さんが立ち上がり、それに共感する人が立ち上がり、そういう雰囲気が醸されてきととき三和本通商店街はすごく暖かな文化を構築することに成功するのだろうと思います。

それは商売人であっても、お客の立場であっても、いろいろな立場の人が、そのすごく暖かな文化に関係を持ちたいと思う人が集まるのでしょう。

この文化を作るのは即できるものではないでしょう。地道に一歩一歩形成されていくものだと思います。

インスタントに作れるものは、インスタントに崩壊すると思います。

その過程が地道であればあるほど、確かな何かが生まれてくるのだろうと思います。

地道に継続してやること、それが一番大事なことだと思います。

僕は知合いのピアニスト濱倫子さんのCDを聴きながら、そんなことを考えています。

なぜなら、濱さん自身が、地道に継続して、自分の世界を創り出し、それに共感する人が日本にも世界にも増えています。

年一回行われる日本のコンサートで、あるいはCDを聴くことにより、濱さんとそのファンが創り出した文化にシンクロしているのかもしれません。

その心地よさが、濱サンを初め、ファンのみなさんが創り出した組織文化なのでしょう。ファンのみなさんは音楽だけを聴いているのではなく、濱さんの演奏を通じて、クラシック音楽をライフスタイルに取り込み、何かを経験しているのかもしれない。(濱サンのCDは音楽厨房さんに問い合わせ下さい。)

話をもとに戻すと、立ち上がったひとやがんばっているひとを応援するという市の輔さんがおっしゃったような文化はこれからの地域再生や商店街活性化に必要な文化の一つでしょう。

記憶しておこう。

僕たちはがんばっている人を応援することを通じて、逆に僕たち自身が鼓舞されるという体験をしていることを。


組織文化(風土)という言葉はご存知であろうか。

私の場合、10年前に公認会計士試験の経営学の勉強で出会った言葉であり、概念である。

アメリカでは1970年代に、企業文化の構築がどれだけ企業業績の向上や改善に効果があるかという視点で、企業文化の研究が盛んになったといわれています。

また、1982年にトム・ピーターズが企業文化のコンセプトで『エクセレント・カンパニー』という本を出版し、ベストセラーにもなりました。

企業業績の向上や改善に企業文化が占める割合は大きく、またM&Aでも成否は企業文化の融合ができるかどうかにもかかっているといわれます。

公認会計士試験時代の経営学のレジュメには組織文化は次のように定義されています。

■組織文化とは

「組織の成員が共有する行為基準、価値観、信念、慣行などの暗黙の了解すべて」

またその本質として。

■組織文化の本質

①公式的な行動規則と並存し、組織成員の行動に影響を与え、企業行動を左右する。

②企業イメージとして定着し、それが外部にも伝達されて社会性をもつ。また、その文化に共感する人間が集まるなど集団と関わりをもつ関係者を左右する。

③組織構造や行動規則に影響を受けるが、組織構造や行動規則がかわれば自動的にかわるものではなく固定的な性格を有する。

組織文化というものは個々の商店街にもあると思います。ただ、企業のようにこの組織文化を考えてみることはあるでしょうか。

商店街のお客は、商店街の文化を享受しているともいえるのではないでしょうか。その文化とあわなくなってきたあるいはその文化を維持することや変革することが無くなった時に、客は離れていくことになるのではないかと考えることもあります。

お客は買い物だけでなく、自己の生活スタイルと合致する文化で買い物をしていると思えるのです。

そういう文化をどうやって作り、提示していけるか。

自転車が猛スピードで走っている商店街もある。自転車の通行を阻止している商店街もある。
朝早くから店開きの準備をしている商店街もある。いつあくかわからない店がある商店街もある。
会話のある商店街もある。会話のまったくない商店街もある。

文化は固定的なので、急激には変えることができない。ただ、時代や環境に合わすことを努力しなくなった文化はすたれていく運命にあるのではないでしょうか。

レジュメには組織文化に対する経営者の取り組みとしてこう書かれています。

組織構造の変革にあたっては、組織文化の深層からの変革を伴わせるための努力が必要である。=形式的に組織改革を行ったとしても、そこに組織文化を内在させない限りそのような組織改革は内実を伴ったものとはならない。

商店街として、どういう組織文化を作っていくか。これは大きなテーマであり、取り組まないといけないテーマでもあると思います。

そこにいけば、笑いがあり、期待感があり、もう少しがんばってみよういう勇気をいただけたりと、全身で感じれる経験や体験ができる雰囲気を作り出せたとしたら、それに共感したい、関係性を持ちたいという方が増えてくるのでしょう。

そんなことを松下幸之助さんの書物にも載っていたと思います。(投稿記事『街の品位を高める』を参照ください。)

大阪ミュージアム構想においても、点から線、線から面に移る際に、どうやって文化を構築しなおすかに成否がかかっていると思えます。

そして最もキーになるのはやはり人なのでしょう。

人が一人立ち上がりました。彼に共感する人がもうひとり増え、二人になりました。三人になりました。と、共感する部分が大きくなっていた時、文化ができているのかもしれません。

地道な作業でありますが、誰かがやらないといけない作業であると思います。

パリの冬は日が短く、太陽で出会う機会が少ない。

日が昇るから目が覚めるという習慣があるのだが、パリの冬では日を待っていると昼になってしまう。

パリの高校生に、フランス人は冬に精神病になる人が多いと聞いたような記憶がうっすらとあるが、ひとつには太陽との関係があるのではないかと。

パリの人は夏にはバカンスにでかけ、南の方の太陽を浴びに行くわけだ。パリにも夏にも十分な太陽があるわけであるが、1月ぐらいニースとかに陽を浴びに行くのは、冬にそなえて、冬眠ではないが、陽だめしているのだろうと思ったこともある。

実際冬のパリは精神的バランスを保つことがむずかしいようだ。

大学の卒業旅行で遊びに来た友達の帰った後などの悲しみと焦りは一段と身にしみる。

東京芸大の友人らが卒業旅行で来た際に、その頃イエナ近くの16区に住んでいたのだが、週末にでる朝市に訪れたことがある。

そこを歩いていると気が晴れるような感覚を味わった。

セレブな町であったのだが、フランス人もその朝市は楽しみに味わっていたようだ。

写真が出てきたのだが、そこに二人の芸大生が映っており、今も現役で活躍されているようなので、肖像権等の関係でここではアップしないことにしよう。

その写真を見ると老若男女が物色しながら、買い物している姿がうかがえる。

地方の農家が野菜やフルーツを、漁師が魚を、さらに陶器や鞄や本なども売っていたと思う。

漁師なども売ることを楽しんでいるようで、スズキみたいな魚に煙草をくわえさせて楽しんでいる。

買い物客も売る側も朝市という非日常を楽しんでいる。

貧富の差異もなく、人種の差異もとけるようだ。

朝市ではみんな知り合いの曲名よろしく「エトランジェ」になるのかもしれない。(ちなみに原題は却下され「異邦人」になったようだが)

こういう朝市をほかの場所でも見かけたのだが、こういう雰囲気はいいなと今だに思い出す。

ただ、お金がなかったので、買うというより見るという関係であったのだが、冬の過ごし方として朝市を楽しむということを見つけた。

ショッピングという行為には人を癒す効果があると本で読んだのか、遺伝子工学の研究にパスツールかに留学に来ていた方に聞いたのか定かではないが、さもありなんと思う。

朝市で非日常の空間が現出され、気が晴れたのは、キリスト教における安息日との関係もあったのかもしれないが。

日本においてもイベントが買い物客の気が晴れるようなものであれば素晴らしいなと思う今日この頃。

中学時代に冬休みにバイトを申し込んだ。

中央卸売市場の仕事である。

10日ほどだっただろうか。

ただ、場所は中央卸売市場からトラックで、高速で当時すごい人が集まるという商店街の1角であった。

ちょうど5人ぐらいで3人は高校生、僕ともう一人は中学生だったと思う。僕以外は皆ヤンキーであった。

中央卸売市場でトラックに荷物をつぎ込む、みんなピリピリして店員の中には訳のわからない罵声をあびせる兄ちゃんがいた。

僕もその洗礼に浴びたのだが、高校生のヤンキーに励まされた記憶がある。「ヤツは少しおかしいから、気にするな」と村上春樹に出てきそうな言葉だったような。

そしてトラックで商店街に行くのだが、少し足りないおじさんのトラックにのり、高速のど真ん中で、何故かしら急ブレーキを踏まれ、死にそうになった記憶がある。

時にこういうお茶目なおじさんであだ名はいいえて妙だったか、ここでは書かないでおこう。次の日から運転は中止されていた。

商店街につくと、大型トラックから荷物を店の前の一角(銀行の前に)大量に積み上げるのだ。

その際に、店員がサバは気をつけろと何を言っているのかわからなかったが、鯖の木箱を下す際、鯖の汁をかぶってしまう。するとその一日、グロッキーな気分で、缶コーヒーを飲んでも、昼飯を食べても、すべて海鮮の気分である。

積み上げた荷物を今度は、2店舗と1屋台に必要分だけ配るのだが、バイト君は補充係と販売員に分かれる。ヤンキー先輩らは皆販売員を嫌がったのか、なぜか僕だけが販売員となり、僕ははまぐりと鯛を売ることをまかされた。

なんこかの声のかけ方を教えてもらって、大きな声で呼び込みをするのだ。

途中店員にお前がはまぐりというと甘栗を売っていると誤解される。発音をちゃんとせいと怒鳴られながら売るのだか、確かに店員が8人ぐらいいるその前の監視下に置かれているわけで、ヤンキー諸先輩たちが販売員に立ちたくなくなった理由はこのことだったのだろうかと思った。

ただ、売れると面白いもので、鯛を売る時はこうやってもって、「いかってる、いかってると」売ればいいと教えてくれたりもする。

突然セレブな叔母さんがきて、はまぐりを渡した瞬間、お金をはらわずにボルトよろしくの瞬発力で逃げて行った記憶が残っている。

この店員なのだが、昼の食事をのぞいて、朝から夜まで立ちっぱなしのために足の裏がいたくなってくる。これには辟易したし、ああ商店のものを売るということは肉体的にも大変なのだと気付かされた。

もう20年前ごろの話であるが、今はどうか知らないのだが、年末のその商店街のにぎわいは祭りのような人だかりであった。

そのため、補充係のほか、積み上げた荷物が盗まれないようにこわもての人らが2人雇われていた。

たまに休憩時間にヤンキー諸先輩らがたばこをくれるのだが、僕は吸わないというと、中学生だろうと怪訝な顔をされたり、店員の人が原付のミラーが盗まれたというと任しといてくださいと別のミラーをどこからか調達してくるという人らが、そのこわもての二人に、「お前ら一回殺したるからな」と言われ、あと数日辛抱すればいいんだと嘆いた記憶があるが、補充係も大変だなと実感した記憶がある。

慣れてくると、勝手にやってしまい、たまにまけてというお客に自分裁量でやってしまい、店員の人に陰湿ないじめを受けた記憶もある。

でも今思うと、仕入値と売値のマージンを知らずに、勝手にまけていたのは今思うと文化祭気分でやっていたのと同じで反省してしまうが。

ある日から、数の子を売る担当になった。メインで販売しているのだが、なかなか売れなかったようである。そして僕はこわもての店員の横という監視下のもとで販売するという一番避けたかった状況に追い込まれた。

数の子は2種類あったのだが、売り方は教えてくれなかったので、適当な掛け声で売っていた記憶がある。これがバカに売れ出したのである。僕の高級そうな顔立ちと高級な数の子とがマッチングしたのだろうか。

しゃべりかけてくるお客さんもたくさんできた。

親子ずれの早親が、娘が買ってあげたらというので数の子をひとつ買わしてもらうわと言われて、おつりをその女の子に渡すときに、男子中学校だったうぶな僕はそのかわいさに、その子の手にお釣りを渡すときに震えてしまった記憶だとか。


一人変わった怖いおじさんが「にいちゃん、これ本物か」と買ったかずのこを一つ取り出して、その場で食べた人がいた。となりのこわもての店員もおれはしらないよという顔でそっぽをむかれ、いちゃもんをつけられるのかと思っていたら、「ああ本物や、うまいわ、にいちゃん、かんばりや」とたちさっていった。

いまだにあれはなんだったんだろうと思う。

隣のこわもての店員がいなくなった時に、すごくきれいな女性がこのエビで海老チリができるかしらと聞かれ、いいんじゃないですかとうった記憶があるのだが、今だにその女性の美しさに圧倒され、将来こういう女性と結婚し、海老チリを食べたいものだとうぶに思った記憶がある。

そして、またこわもての店員が登場。この店の事務員の人に後で聞いたのだが、私この会社にはいって初めて出所祝いという字を描いたわよと、それも2回もと、このこわもての店員のことを言っていた記憶がある。

その店員が残り少なくなってきた数の子を見て、店のメインなのか、補充がきかないことを察してか、「お前売るな」と言われ、売れたらまたどなられるとびくびくしながら数の子の前にたっていたのだが、意に反して売れてしまい、隣のこわもての人にうれちゃいましたと言って、怒鳴られると思いきや、その時は何も言われなかった。

ただ一度、屋台販売を取り仕切っている店員が私の販売を見て、彼を屋台のほうに連れて来てほしいと店の店長に言ったのだが、僕はああこわもての店員から離れられると思って、ぜひとおもっていたのだが、こわもての店員に、こんなやつを欲しいという考えがわからないだめだと横で言われ、絶望感を味わった記憶がある。

毎回怒鳴られるので、あと何日したら終わるだろうと数えながら、すごしていた。ただヤンキー先輩らの昼飯時に面白い話を聞くのと、数人の店員らはうちらに優しく、スナックで出会った女性と今度結婚することになり、ここをやめて独立するんだとか、キューピーみたいな店員は惚れた女性に猛アタックして美人と射止めた話をきいて楽しんでいた。最終日あたりにその美人が少し顔を出したとき、確かにきれいで、その店員が僕とヤンキー中学生にどうやきれいやろ、いかにがんばるかやでと説得された記憶がある。

このヤンキー中学生とは気ごころが知れて、よく一緒につるんだのだが、先生を殴った話だとか、登校するときはどんなバイクをのっていっているとか、中学卒業したら働くか(彼の親は自営で工場を営んでいた)、高校行くかとか、僕の中学の同級生とは異次元の話が聞けて、面白かった。僕の小学生の同級生の仲の良かった人間と通じるものがあったのだが。


夕方ぐらいになると、夜勤のバイト君が登場し、積み上げられた商品を夜通し見張るという作業に入る。その前に、大型のトラックがやってきて、荷物を補充するのだが、このトラックで魚を運んでいる人は同志社大学の学生で、僕にここで精いっぱい金を貯めてビジネスをするんだと夢を語ってくれた。

段取りも指示も明確でこの人がくると苦しい気分が晴れた気がする。

今は成功されているのだろうか。

最終日近くになった時にこんなことがあった。

補充用のトラックを止めていたことに対して警官が駐禁を言ってきた。そこで店員と警官がもめ出し、いつの間にか警官が20人ほどきて、店員も総出で対戦状態だ。

その際、店長が来て、すごいまくし立てた記憶がある。俺らは商売人として真剣に仕事してるんや、一言言ってくれてもよかっただろうとか、お前らこんな駐禁取り締まるより、3億円犯人を捕まえた方が国民のためやぞと、その話が面白くまた警官と商売人がもめているのをみて、ギャラリーが増えだした。

警官らもその演説にしり込みしていたおり、警察のえらいさんがきて、僕も昔商売をしていたことがあるので、よくわかる。今回はこちらも落ち度があったので、何もなかったことにしようと。

それからはヤンキー諸君の店長を見る目がかわった。

僕は行き帰りを店長に送ってもらったことがあり、焼き肉屋でおいしい部位だけを食べさしてもらったり、初めて虎フグをたべさしてもらったり、今の食品偽造の話や本当のものを仕入れようとおもったら、すごく情報と労力がいる話を聞いたことを思い出す。

おいしいものを見分ける力はすごかった。

それがなければ、商売としてはなりたたないのだろう。

ただ、すごく疲労がたまっていた時、朝の4時ぐらいの高速でラジオからジョンレノンのイマジンという曲が流れてきた。ちょうど、中之島のビル群を通り抜けながら聞いたのだが、不思議に疲れがいやされていく体験をしたのだが、その店長はラジオを切り替えられた。僕が眠ってしまうとおもったのだろうか。音楽の本物は見分けられなかったのだろうか。

中学時代のアルバイト料は24万円ぐらいだったと思うが、それは初めて聞いたジョン・レノンのアルバムを買うことに消えてしまった。

ただ、金では買えない経験をさせてもらった。

僕はこのブログを始める前においては表現の仕方を持っていなかったと思います。

商店街を単純に歩くだけのブログですので、世間から見たひとはそれは表現とよぶ値打ちのないものと言われるかもしれません。

中学生時代、深夜に放送される毎日放送系の『夜はくねくね』?という番組が好きでした。角アナウンサーとあのねのねの原田さんがただ街をぶらぶら歩くだけの番組なのですが、なぜか勇気づけられることが多かった番組で、その番組の打ち切りが決まった時は、大げさですが生きる糧をなくしたような気がしたことも覚えています。

トム・ピーターズさんの本『ブランド人になれ!』に「現場に向かって走れ!」という章があり、そこに自分で線を引いています。

現場の人の話をよく聞こう。現場の人からよく学ぼう。

僕らははじめ現場の人に聞くべき話もなくさまよっていたのですが、とりあえず、商店街に出てみようと始めたのがきっかけです。

現場に出て見えてくるものがあるのではないかと。

大阪の商店街を中心にひたすら歩きました。何度も足を運んだ商店街もあります。はじめはむなしく時が過ぎていきました。次第に商店街を見ることでいろいろ考えることがでてきました。

そんなおり、現場の方から、ぽつぽつとコメントをいただけることができました。

和歌山でコーヒーを営んでいるエカワさん
奈良で笹餅飯・日本てぬぐいを販売している湯脇さん
尼崎の三和本通商店街の市の輔さん
踏切を旅行する方

現場の声を聞くことで、僕は少しずつ表現の仕方を学ぶことができています。拙いですが。

ユニークな視点や右脳的に表現しようとよく言われますが、今の自分にはそんな表現方法など持たない。(ひたすら商店街を歩くだけの表現はある意味ユニークなのですが)

地道に表現を繰り返し、現場の声を聞きつつ学んでいくことで自分なりのユニークな表現が初めてできるのではないかと考えるようになっています。

現場の人がひたすら商店街を歩く表現に意味を与えてくれることによって、僕は自分なりの表現の仕方を獲得していると実感しています。

商店街にある喫茶店を見ますし、頑張っている店を少しでも発見できるよう気をくばりますし、商店街でふみきりに出会うとどっきっとしますし、独自の企画で勝負している店を探すといったように、見えていなかったものが少しは見えるように、あるいは見えるように努力するようになりました。

稚拙な表現で、ただ商店街を歩くというだけの意味のないブログですが、そこから何か見えてくるものがあるのかを見極めたいと思っています。

忌憚のない意見がたくさん聞けるように、今は現場に向かって走ってではなく、歩いていこうと思います。


とある取締役の方と話す機会があった。

その人のまわりで個人でビジネスを行い成功している人がいるそうで、自分のお金50、借入50で経営をしているのが成功の秘訣じゃないかなと分析されていた。

借入50ぐらいであれば、賃貸や駐車場にして収益をあげれば、金利以上のものは得れるというのである。ただ、これを70~80にしてしまうと、その成功者も怖いからそんなことはやらないという。

また、自己資金があまりないのに、ほとんど借入でやるひとも見てきたが、一時期良くても何かつまづくとそこで終わるケースがありまんなあと。

自己資金(お金)50、借入50というのは、経営指標でいうと自己資本比率50%ということになる。

上場会社は毎年年次決算時に有価証券報告書、通称"有報(ゆうほう)"...未確認飛行物体ではない...を決算日以降3カ月以内に開示しないといけないことになっているが、この有報にも自己資本比率が情報開示されているのである。

上場前はほとんど借入で資金調達を行うのであるが、上場時には株主からのお金が入り、それは資本金とよばれ自己資金に組み込まれることになるので、自己資本比率は上場前よりは高くなる。

自己資本比率が高いと財務構造上健全であるとつまり安全性が高いと評価される。

安全性を評価する指標となるのである。

また、ROEという経営指標があり、聞かれた方も多いと思うが、ある企業を評価する際にROEの水準が高い・低いと判断する目安となる指標である。

経営者が経営する判断資料として、投資家が投資する判断資料として、最近ではメジャーな指標となっている。

簡単にいうと自分のお金(自己資金)でどれだけ稼いだかということを表現しており、それが高い水準であると効率いい経営をしているということである。

一方先ほどでた自己資本比率であるが、これはこのROEにインパクトを与える要因なのである。自己資本比率の逆数は財務レバレッジと呼ばれ、これはROEの水準を高める効果も低める効果も有している。

ROEは利益率をあげるか、商品の回転率を高めるかで上げるほか、借入を増やすことで財務レバレッジを高めてROEを高めるという方策もあるのである。

最近不動産業界が直近まで好業績をあげ、高いROE水準で推移してきたのは、ひとつには財務レバレッジ効果が聞いていたのかもしれない。ただ、行き過ぎた借入は時にリスクを負うことになり、不動産業界で倒産しているのもそのリスクが顕在化したからかもしれない。

そういう経営者は、ちまたではカリマス(借り増す)経営者と呼ばれるそうだ。

現在ナ・トワでは、優良企業の分析を定期的に行っているが、今回は安全性の分析を検討する回(【企業分析】システムプロ(3))ですので、興味のあるかたはのぞいてみてください。

調達するお金の配分など考えたことのない個人で経営されている方は、時には自己のお金と借入のお金の配分を見直されるのも大事なのかと思います。先の取締役の話ではないですが、カリマス経営者ではなく、カリスマ経営者になる一歩かもしれません。


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