【地域・東北】秋田の最近のブログ記事

平成21年8月30日付の河北新報の記事【地域の魅力を大学生発掘、活性化策提案 由利本荘】を読む。

記事によると、「国際教養大(秋田市)など4大学の学生が24~26日、少子高齢化が進む秋田県由利本荘市の9地区の活性化を目指し、食文化や伝統芸能の実態を調査した。」とある。

教養大、早大、国際基督教大、立命館アジア太平洋大(大分県別府市)の学生ということで、地域の魅力発掘でよく見かける大学の名前が並んでいる。

記事にはいろいろな活性化提案が載っている。自分が大学生のときには、地域の魅力の発掘という意識は全く持っていなかったので、今の学生はすごいなと感服する。

平成20年11月3日付の河北新聞の記事【アートで商店街潤い 活性化策広がり仙北でも開催】を読む。

記事によると、「中心商店街を活性化しようと、芸術家たちによる創作発表やパフォーマンスを繰り広げるアートプロジェクトが、秋田県内で盛んになっている。」という。

地元の若者を中心に商店主や住民を巻き込む形で展開され、商店街のにぎわいづくりに貢献しているという。

記事には、「年々参加者の輪や活動の幅が広がり、商店街関係者の方々の理解と協力も深まっている」と書かれている。

市民によるまちづくりが、まちづくりの基本なんだろうね。

アートによる活性化については、こちらも参照ください。

『【倉敷の商店街に大写真ずらり 】を読む』@岡山

高槻センター街商店街を歩く』@大阪

アート イン ナガハマ』@滋賀

アートが街にやってくる!!』@石川

点を線にしよう。そして、線を面に!!

鶴野礼子著『元気な商店街・7つの秘訣―商売繁盛の街づくりにはコツがある!』(全国信用金庫協会監修・ダイヤモンド社)の3つ目の秘訣"空き店舗を埋める"を読む。

全国各地の商店街で、空き店舗問題が深刻化しており、商店街振興組合等が積極的な空き店舗対策に取り組んでいることはよく耳にする。

その対策の筆頭として、本書によると、開業希望者を支援するために各地で盛んに行われている「チャレンジショップ事業」があるという。

〜株式会社はこだてティーエムオー(北海道函館市)〜

JR函館駅前を中心とする大門地区の再生を目指して、2000年9月、第三セクターのTMO(タウンマネジメント機関)「株式会社はこだてティーエムオー」が発足し、地域で深刻化する空き店舗問題を解決するために、翌年チャレンジショップ事業を開始したとある。

その事業とは下記のようだ。「新規開業希望者を集めてミニ実験店舗に仮出店してもらい、そこで足がかりをつかんだチャレンジャーが商店街の空き店舗に本出店する。」というもの。

(株)はこだてティーエムオーが、"地域の永続的な活性化を図るためには、新規商業者を育成し、参入を支援することが不可欠"と①チャレンジショップ事業の拠点となる「大門屋」を開設し、②新規参入者を対象とした勉強会「チャレンジショップ創業塾」の実施(月1〜2回)することで将来の商業者を育成したという。

その結果、二年間で7店が本出店を果たし、真新しいお店に興味を示すお客が往来するようになり、街の活性化に貢献しているとある。

〜有限会社PMO(青森県青森市)〜

本書によると、地元の商店主らが設立した有限会社PMOは、2000年9月、青森市の中心商業地「青森市新町商店街」に、実験店舗を集めた「パサージュ広場」をオープンしたとある。

新町商店街の課題はぽっかりあいた空き店舗である。

我々の商店街には、賃貸の空き店舗はほとんどありません。今問題になっているのは、バブル期に大手企業が取得した土地や建物で、これらが長い間、売り地、売り店舗として残っているのです。

「パサージュ広場」のコンセプトは、格安の賃料で開業希望者に店舗を貸出し、一定の実験期間を経て、同商店街の空き店舗に本格出店してもらうというもの。「新規参入の商店を育てられるのは、商人にほかならない」という考えに基づき、PMOは広場の管理、運営はもとより、各実験店舗を軌道にのせるための支援を行っているとある。

これが実り、若者を主体とする商店が本格出店し、商店街の活性化に貢献しているという。

著者は「開業希望者には出店のチャンスをくれる聖地であり、市民にとっては買物や食事を楽しめる憩いの場となっている。」と指摘している。

私は10年以上、ボランティアとして青森市の街づくりに参加してきました。行政と手を組むのは一朝一夕では無理です。どういう街が必要であるか、どういう街や商業地をつくりたいのか、何度も話し合い、理解してもらわなければなりません。そして何より、私たちの商店街が街に必要であることを訴えていかなくてはいけません。行政は必要なものには必ず支援してくれるはずです。

〜名古屋長者町織物恊働組合(名古屋市中区)〜

本書によると、名古屋市中区の繊維問屋街「長者町繊維街」では、倒産や廃業で空きビルが増え、ビルの所有者にかわり、地元の有志たちが入居者を集める「空きビル再生事業」を始動したという。

空きビルの状況に危機感を抱いた組合が、99年に街の活性化に取組み、翌2000年が組合創立50周年にあたり、記念イベントにより街のPRと集客をと、組合の若手経営者でつくる「青長会」がイベントをしきることになったという。

「たちの力で街を元気にしたい。それを本気でやるならプロなアドバイスが必要」ということで,マーケティング・コンサルタントの石黒靖敏氏に依頼し、通りは歩くこともできないくらのお客がやってき、2日間6万人にものぼったという。

石黒さんのコメントが引用されている。

組合の全員が素晴らしい"成功体験"を共有し、街の活性化へのイメージをしっかり持つことができました。この経験が自信回復と今後の努力精進につながったことは間違いありません

2001年からは線以外の特性を活かし「ファッションの街」を目指して、重要課題である空きビルの再生に取組み、①出店希望者の募集②格安な賃料の実現により、テナントが見つかったという。ビルの主なお客は20代のOLで、各店舗の売上げも順調に推移し、第1号ビルは成功したとある。

その後、有限会社長者街づくりカンパニーを立ち上げ、空きビル再生事業の第二弾となる「長者町えびすビル・パート2」に取り組んでいると紹介されている。

沖縄市TMO(沖縄県沖縄市)〜

本書によると、沖縄市の街づくり機関である「沖縄市TMO」は、映画のストーリーにヒントを得て、大々的な空き店舗事業「沖縄移住計画 ドリームショップグランプリ」を企画したとある。

「沖縄に移住して企業してみませんか?」というフレーズで、夢のある企業プランを全国から応募し、優秀な人材を発掘し、商店街の空き店舗への出店を支援しているこころみである。

店舗の家賃だけでなく、移住先の家賃も一年間保証するという事業であり、沖縄への移住を支援することで、魅力的で目新しい店舗の呼び込みに成功しているとある。

現在ではこのグランプリは終了しているようだ。

〜鹿角市花輪大町商店街(秋田県鹿角市)〜

本書によると、秋田県鹿角市の「鹿角市花輪大町商店街」(愛称ハミングロード)では、商店街振興組合と商店経営者たちが共同出資して大型の空き店舗を買収し、カラオケ店と飲食店として再生させたとある。

後、飲食店は失敗したそうだが、カラオケ店は順調のようだ。

著者は、当該商店街の試みを次のようにコメントされている。

鹿角など地方都市だけでなく、今は大都市の商店街も苦戦している。しかし、巻き返すか、あるいはそのまま没落していくかは、商店主たちの意欲と結束にかかっている。それだけに、花輪大町商店街の自助努力、果敢な試行錯誤、失敗を糧としていく粘りや前向きさに学ぶ点は多い。

〜NPO法人・天神天満町街トラスト(大阪市北区)〜

「昔と違って商店街にとってモノを売るという機能は薄くなっています。これからは"街守り"の役割が重要になってきます。」と、商店街振興組合という組織では、参加者が商業者に限定されてしまうことから、地域住民も参加できる形での街づくりを目指す組織を創る必要から、「NPO法人・天神天満町街トラスト」が誕生したという。

そこでは、商店街の店舗構成についても議論を重ね、大資本のチェーン店ではなく、地元を愛する個人経営者を積極的に誘致する努力の必要性に達したとある。

"街守り"としての、街をつくっていくという姿勢がうかがえる。著者がコメントしているように、街づくりを通じて、商人のこころを次世代に伝承しているのかもしれない。

投稿記事『天神橋筋商店街を歩く』を参照ください。

帰り道はなるべく山を避けたいと思い、能代に出て秋田→本庄→酒田と南下し、一転新庄に向かい、さらに南下し山形→仙台の道を通ることにした。

お金があまりないので、二日で仙台まで帰ることにした。

ひたすら脇目もふらず、南下した。

途中、道路沿いに等間隔でアイスクリームを売っている老人たちがいて、ひとつだけアイスクリームを買った記憶が残っている。
僕が食べている間、なぜか座っていたのに礼儀正しく立たれたので、逆に恐縮した思い出とともに。

さらに、どっかの港町をめぐり、道路沿いの食堂でアジフライを食べるか食べないか迷っていたら、トラックの運転手におごったろと言われ、アジフライを食べた記憶がある。

道は山道はほとんどなく走りやすかったのだが、日が暮れ出すとやはり明かりがすくなく危ないと思い宿を探すのだが、この日どの町で止まったのか記憶がない。

食料品店でどこどこまでいけば宿があると聞き、夜道をひたすらすすんだ。

JRの駅があったと思うのだが、泊まった旅館の記憶もない。ただ、食堂だけはうっすら覚えているのだけれど、あかちゃんを背中においながら、調理している奥さんと失礼な言い方だが精神薄弱な旦那さんの記憶がうっすら残っている。

人生の悲哀を少しみたようだ。

次の日は朝早く起きて、出発することになる。

宿の人が、昨日宿泊した人があなたのママチャリをみて、明日彼が出発するときにメモを渡してくれと、「グッドラック」と書かれたメモと料金も払っていてくれた。

ああいい人がいるもんだと、心鼓舞され峠道をさらに進む。

十和田湖を目指した記憶がある。

本日中に大館につけそうな旨を友人の留守電に入れた。

今日中につけるとなると、かなり気分的に楽になった。

平坦な道もあり、途中幼稚園か小学校のそばの食料品店にはいって、ジュースを買おうとしたら、おばあちゃんがどこからきたのというので、仙台から来たというとそらそらといって、ジュースやパンやまんじゅうをただで食べさせてくれた。

途中子供をあやしている奥さんがちらっと顔をだしたが、おばあちゃんとしゃべり込んでいる私をみてそのまま子供をあやしに戻った。

1時間ぐらい世間話を聞いていたのだが、今だにこの店の憩いは感謝している。

もう一度この辺りを通った際にはお礼を言いたいと思いつつ時は過ぎてしまった。

そうこうして走っているうちにかなり早く大館についた。

夏休み中、友人が働いている学校に電話したら、夕方ぐらいにもどれそうだから、時間をつぶしといてくれと言われ、とりあえず、商店街のほうにむかった。

昼飯がてら、大館名物とかかれたものがあったので、そこでそのものを食べたのだが、記憶が定かでない。

冷やし中華のようだった気がするのだが、味の印象は残っていない。

商店街を歩いていると、母親と娘という親子ずれとすれちがい、地黒なのであるが、さらに日焼けしていたので、親子ずれがどっから来たのと興味深く聞いたので、仙台といったのだが、関西人まるだしということでまたまたと笑いながら過ぎ去った記憶が残っている。

そのまま進むと橋にでて、大きな川に出会った。

少しぶらぶら川沿いを歩きながら、犬の散歩をしている方をみつつ、僕がここでうまれていたら、どんな人生をあゆんでいたんだろうと考えつつ、友人のアパートに戻った。

夕方帰宅してきた友人と出会い、そのまま車にのって晩飯をたべに行った。

寿司屋の二階を貸し切っており、学校の教師たちも私がママチャリで大館まで来たということで2人も加わっての飲み会になった。時折、さらに人顔拝みたいと何人かの先生が部屋に入ってきて退出していった記憶と一人の先生の方に好きなことができるっていうのはうらやましいと言われた記憶が残っている。


翌日は友人が車で十和田湖に連れて行ってくれ、十和田湖名物とかかれたはまぐりを買って、販売している人にここでとれたはまぐりというとうんと答えられたのだが、帰りにはたして十和田湖ではまぐりがとれるものかと思案してしまった。

いまだに解決していない。

翌朝出発することになっていたが、サザンのテープをもらった記憶がある。

3日目ひたすら山道を走る。

そのうちに峠道となり、似たような道が何度も続くのだ。

登りは押して進み、下りはハンドルが抜けないよう進む。

たまに車と交差するのだが、みなびっくりしている。

確かに休む町もない。

このときはただ、大館まで行こうというのだけが頭によぎるだけだ。

ただ、不安はこの山道で日が暮れたら、僕は途方に暮れてしまうだろうという不安がよぎる。

だから、休めないのだ。

また、自動販売機もない。

人も見かけない。車も通らない。

たまに、表札にでてくる町の名前まで行こうということだけか。

僕は盛岡で左折した後、北上したのかもしれない。

駒ケ岳や十和田湖の名前があるので、そういう記憶があるのだが、定かではない。

あまりにも同じ道を通るのと、時間をかんがみて、次に出会う町でとりあえず宿泊しようと思いながら、町を探すのが、
出会わない。

まじで4時ぐらいになると不安になってくる。

絶望感が開けると峠町があるらしい雰囲気だ。

人と出会い、その老人に宿泊できるとこはあるかと聞くとスタンダールという、どういう意味だろうかと頭をかしげながら、進んでいくと上に行く道と、下に行く道がある。

東北の方の言葉はフランス語と似ているというが、スタンダールとは下に行け!と言っていたのだろうかと、下道を行くことにした、すると山道ぞいに小さなたんぼかと民家があり、たんぼを眺めている人に宿泊できる場所はないかと聞くと、うちでとまっていけという酒ぐらいしか飲ませられないけれど、と迷ったのだが、酒を飲むと次の日は厳しいだろうなと教えてもらった峠町にある民宿か一軒家に泊めてもらうことにした。

ちょうどその峠では祭りのようで、中学生らしい男女の子がかわいい衣装をきて準備している。女性の店員に夕食はここで食べてくれと部屋にと通される前に、食堂の席についた。

お客は僕ともう一人いた。その一人は休みになるとマウンテンバイクで峠を走るために、ここにくるそうだ。

君は何できたんだときかれ、ママチャリだというと、やっぱり関西人だなと信じてもらえなかった。

その人は食事が終わると、そのまま車で東京に戻られたようだ。

僕は一人で食事していると食堂に大きな虫が飛びまわっている。怖くなって女性店員にこれどうにかしてくれますというと、蠅たたきみたいなもので、バシッと叩き落とした。

よく出るのよねと、こんなんに驚いていてはだめよみたいな意味不明なことを言われた。

落としたハチはくまんばちかすずめばちだったらしいが、記憶がさだかでない。

そのまま風呂に入ると確かにそこにも虫はおり、一人なのに大部屋でおちゃめに蒲団がひかれとまったのだが、よこの部屋ではお祭り後の宴会が行われ、部屋には虫が入ってくるので窓を閉めてバタンキュー。

この旅行中はすぐ寝れた。

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