平成21年5月16日付けの大分合同新聞の記事【ガレリア竹町が作品を飾り変身】を読む。
記事によると、「県内で活躍するアーティストが十六日、大分市のガレリア竹町を作品で飾り「アートストリート」に"変身"させる。」とある。
商店街をいつもと違う魅力ある空間にして、人を呼び込みたい。
タウンキャッチフレーズは確か「暮らしの楽園」
人々が集まり情報を交換する、または幸せを分ちあうというガレリアの言葉の意味どおりの試みのようである。
投稿記事『商店街活性化の成功事例を読む』も参照ください。
平成21年5月16日付けの大分合同新聞の記事【ガレリア竹町が作品を飾り変身】を読む。
記事によると、「県内で活躍するアーティストが十六日、大分市のガレリア竹町を作品で飾り「アートストリート」に"変身"させる。」とある。
商店街をいつもと違う魅力ある空間にして、人を呼び込みたい。
タウンキャッチフレーズは確か「暮らしの楽園」
人々が集まり情報を交換する、または幸せを分ちあうというガレリアの言葉の意味どおりの試みのようである。
投稿記事『商店街活性化の成功事例を読む』も参照ください。
平成21年5月6日付けの大分合同新聞の記事【野津の商店街 吉四六と歩く】を読む。
記事によると、「臼杵市野津町のNPO法人「ほのぼの吉四六さん村」の村長、安藤紀一郎さん(63)が、同町野津市の商店街周辺でガイドを始めた。吉四六さんの衣装を着て、吉四六話を交えながら町を案内する。」とある。
安藤さんは吉四六話の語り部の育成などの活動を20年間も継続的に行ってきたそうだ。
すごい。
きっちょむと歩こうか。
平成21年3月31日付の西日本新聞の記事【大正期の木造アーケードよみがえれ 駅弁に詰めた「たみこの夢」 別府市の水口さん 収益で修復目指す】を読む。
記事によると、「竹瓦小路のアーケード(全長約70メートル)は、湯のまちのシンボル・竹瓦温泉に隣接。1921(大正10)年の建築で、現存する日本最古の木造アーケードとされ、2月には近代化産業遺産に認定された。 かつてはガラス屋根がハイカラとされ、土産物屋が軒を連ねて観光客でにぎわったアーケード。しかし、70年代後半に別府観光の最盛期が過ぎると大半が空き店舗になった。アーケードも台風などでガラスが割れ、骨組みも老朽化した。」とある
今回、JR九州の今年の「九州の駅弁ランキング」で2位に輝いた水口さんの弁当だが、いったん店を閉めていたが、家族で再興したという。
また、水口さんは、「別府に来る人に、あのころのアーケードを見せたい」というそんな思いから、地元のまちづくりメンバー約10人と4年前から修復活動に乗り出したとある。
まずは思いありきということを実感させられる試みだ。
僕は弁当を買うことでしか協力できないが、まずは大分へいこう!!
平成21年2月15日付の大分合同新聞の記事【空き店舗ツアー 出店希望者30人に紹介】を読む。
記事によると、「大分市中心市街地の商店街に出店したいと考えている人に物件を紹介する「空き店舗ツアー」が十三日、開かれた。市内外から約三十人が参加し、空き店舗十カ所を訪れて立地、建物や設備の状況などを細かくチェックした。」とある。
空き店舗は商店街にとって大きな課題の一つである。今回の記事で思ったのが、そういう空き店舗での出店を検討する人が30人ほどいるということだ。
地方の中心市街地の商店街では空洞化している状況を見ることが多いが、記事によると大分市中心市街地の商店街も似たような状況にあるようだ。
空洞化しているということはその商店街の集客能力が十分でないことが想定されるのだが、そういう状況においても出店を検討・希望するというのはどういうことなのだろうか。
家賃の安さであろうか、あるいは商品やサービスに絶対的な自信があり自ずとお客さんがやってきてくれるという考えなのだろうか、あるいは消費の流れが郊外の総合スーパーからまちなかへ戻ることを想定しているのだろうか。
地方の消費の流れを変えるのは、がんばる個店のつながりが必要となろう。
平成20年8月25日付の日本経済新聞の地域総合2欄の記事【街活性化 大学動く】を読む。
記事によると、
学問の城として閉じこもりがちな印象のある大学が、街づくりのために飛び出し始めた。国際交流、商業振興、観光政策など、地域の活性化のために研究成果を実践に結びつけようと動く。大学自体が生き残りをかけた競争時代に突入している中で、街を変える原動力としての役割を模索している。
●東京国際大学(埼玉県川越市)
学生が外国人観光客を見どころに案内し、地元の国際都市化に貢献しているという。
●香川大学(高松市)
高松中心部の商店街活性化に乗り出しているという。全学生の学生証に電子マネーを採用し、商店街での買い物を学生に促し、マーケティングに活用するそうだ。
また、高松市中心部で衰退が特に激しい常磐町商店街の空き店舗に、まちづくりなどをテーマにして交流塾を開くという等々。
記事にはこのほかにも、大学の街づくりの活動例が列挙されている。
- 北海道旭川市 旭川医大など
健康を切り口に自然、農業、医療のシンクタンクに- 北海道栗山町 北大・酪農学園大など
学生の農家研修や環境問題など分野ごとにノウハウ提供- 青森市 青森公立大
地域みらい学科が地域活動を必修に- 福島田村市 東大大学院
地元小学生によるベストスポット探しなど各種調査実施- 川崎市 専修大
スポーツ練習で小中高生と交流- 甲府市 山梨県立大
中心街の拠点で討論会など活性イベント- 岐阜大垣市 岐阜経済大
商店街空き店舗でまちなか研究室- 和歌山市 和歌山大
元百貨店の複合ビルの大学サテライトで経営講座など- 愛媛愛南町 愛媛大
水産業の人材育成- 大分豊後大野市 立命館アジア太平洋大
小中学校の授業支援など国際交流活動- 熊本市 熊本大
まちなか工房で商店街の現場研究交流
大学と地域が結びつくのはいい傾向だと思う。ただ、その地域おこしが継続的なものであることが前提だが。
田嶋実紀良及び吉村徳則著『「商店街」活性化プラン―成功の事例と秘策 大店法・規制緩和に負けない』の"商店街活性化成功の実例"を読む。
今から10年前以上の本であるので、その当時の成功事例がどういった試みで行われ、現在どうなっているのだろうかと思いつつ読んだ。
1.パティオ事業第一号が完成「ヴィラ・ベルディ」
〜福岡県大川市大川商店街〜
家具の生産では日本一の工業都市として栄えた街として商店街も栄えていたが、近年には地域間競争で商店街は衰退してきたなか、組合の若手を中心とした商店街活性化に取り組んできたという。
当初組合の若手が勉強会を何度も積み重ね、共同店舗やファッションビルづくりの計画を検討してきたが、そういった形では各店の特徴を出せないということになり、共同施設としての広場(パティオ)を囲ったコの字型の商業施設になったという。
ファッションの本場のイタリアの情報を発信する街と伝統の家具づくりに根ざした木工の良さをアピール街にしたいということから「南欧の香りのする街」という基本コンセプトになったと。
本書の著者がパティオ事業を成功させる秘訣についてインタビューすると。
形だけマネればいいのではない。ファッション、飲食などを中心に、それぞれのコンセプトを明確にして、業種の組み合わせを行うこと
現在の「ヴィラ・ベルディ」を見てみたいと思う。
2.共同店舗のリニューアルに成功
〜岡山県落合町 協同組合落合ショッピングセンター〜
岡山県の中央部に位置する商店街であり、町外への購買力流出により衰退していたという。
当時の理事長が商店街を復興させようと町内の商業者に呼びかけして、共同店舗をオープンさせたのがリニューアルの始まりだったと本書に紹介されています。
その後、マンネリ化による売上の横ばいに見舞われ、全面改装、増床、総合結婚式館内の開設、スポーツクラブの併設、事業者内保育所「こばと園」、「サンプラザ」のオープン、ポイントカード事業の導入等、次から次へ挑戦している。
本書には、今後の抱負として、①他の大型店にできないような地域活動を積極的に実施することと②高齢者向けの商品開発を進めることが理事長から上がっていた。
環境の変化に商店街も変化していこうという姿勢がうかがえる。
3.城下街風のまちなみづくり
〜滋賀県彦根市「夢京橋キャッスルロード」本町まちなみ委員会〜
彦根城下町では、地権者が昭和62年に自主的に「本町地区まちなみづくり委員会」を結成し、はじめに、住民による「まちなみづくり相談所」の開設であり、ミニコミ紙「まちなみづくり通信」の発行に取り組んだと本書で紹介されている。
彦根市も昭和63年に「本町地区まちなみづくり条例」「建築審査会」を制定、設置し、建物撤去を行ったという。
彦根市が制定したまちなみづくり条例
・建築物は二階建てまで、歩道より1mセットバックして建てる。
・ネオンサイン、テント類は設置できない。
・看板の材質は、樹脂系以外のものを採用すること、位置は、二階の軒より低く、
・建築物より前には設置しないこと
等々。
このように町家のまちなみ再現には、あたらにテナント入りした店などにより、今まで商店3割、民家7割だっと構成が、商店7割、民家3割となったという。
本書では魅力ある街づくりには次のような手続きが必要であるとコメントされています。中途半端な事業計画では成し遂げることが不可能なこうした活性化事業を行うには、根本的な問題の数々を解決し、地域レベルでの意識の高揚と協力によって、組織化をはかり、魅力ある街づくりをしていかなければなりません。
持続的にまちづくりを行っていくという試みがなけらば、その成功は短期的なものに終わるのだろう。
4.明治鹿鳴館風の街づくり
〜広島県福山市福山大黒町商店街振興組合〜
福山の商業の中心地として栄えた大黒町周辺は、駅前へと中心地が移動したことにより人通りが少なくなり、アーケードも老朽化し、大黒町商店街もさびれていたとある。
そんな中、一人の家具店の経営者が中心となり、昭和54年に北部再開発努力会を発足し、PPM作戦を開始したと紹介されている。
PPMとは「パーク」「パーキング」「マーケット」の頭文字をとったもの。
そして、同年に、明治の鹿鳴館時代を彷彿とさせる街を目指し、アーケードを全面撤去し、ネオンアーチを設置し、昭和59年には、道路を赤レンガ、みかげ石畳敷に整備し、ハイカライト灯を設置。昭和60年には、植樹、明治鹿鳴館調の店舗やマンション、住宅等を整備。
一方行政側も、市営駐車場、公衆トイレ、派出所を新築したとある。
平成6年5月には、第一回「景観づくり大賞」を広島県知事より受賞。
本書には街並みがきれいになったことで、町外から医院も進出し、町の評価も高まっているとあります。商店街は店舗の連続性はなく、商店街然として活動はおこなわず、各店が個性をもって商売しているという。
あの商店街に行けば、美しい街並があり、便利な設備が揃っているというコンセプトから生まれたとあります。
福山には行くことがあり、ぜひ行ってみたい商店街あるいは街である。
HPの街づくり十ヶ条の9条には次のような規定があります。
「商人のための街づくりは失敗する。地域総住民のための街づくりをすべきである」
5.ドーム型アーケードと帆船のモニュメント「ガレリア竹町」
〜大分県大分市竹町通商店街振興組合〜
古くから栄えた竹町通商店街は、バブル崩壊後の消費不況と大型店出店の影響により集客力が減り、衰退が始まったことから、平成3年に近代化委員会を発足し、商店街の活性化に取り組んだとある。
まず取り組んだのが、商店街の統一コンセプトのまとめ。
タウンネーミングを「ガレリア竹町」とし、タウンキャッチフレーズを「暮らしの楽園」とした。
ガレリアという語には人々が集まり情報を交換する、または幸せを分ちあうという意味があるそうだ。
平成6年には新アーケード、カラー舗装・ドーム屋根のイベント広場を完成させ、通りは明るい雰囲気となったとある。
また、通りには船の帆をモチーフとしたオブジェが天井に吊るされ、イベント広場には約8mのポルトガル帆船をモニュメントとして設置。
帆船のショータイム時には親子連れや若者たちで賑わいを増すという。
アーケード新設にともない、個店も改装するところが増え、アーケードとマッチした商店街となっているという。また、放置自転車対策として空き店舗を利用して駐輪場を整備することで対応を図っているともある。
現在はどうなっているのだろうか。
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