【人物・経営学者】ドラッカーの最近のブログ記事

仕事からの帰り、近所のスーパーの本屋に立ち寄ったところ、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』というタイトルにひきつけられ、ゴールドウィークに読もうと購入した。

著者は東京芸術大美術学部の出身であり、畑違いの分野の本を書いていることにも興味を持った。

同世代でもあるので、先週芸大に行った際に友人に聞いてみたらよかったと思ったが、その頃にはこの本の存在を知らなかったけれど。

部活のマネージャーは読んでいるのだろうか。


東京国立近代美術館前を通ると、イサム・ノグチの作品「門」が見えた。以前訪れた際とは色が変わっていた。

芸大に向かう途中、国際子ども図書館前を通る。

ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館は閉店していた。残念。

長沢伸也・榎新二著『ヒット商品連発にみるプロダクト・イノベーション―キリン「ファイア」「生茶」「聞茶」「アミノサプリ」ブランド・マネジャーの言葉に学ぶ』(晃洋書房)を読む。

帯には次のようにある。

ヒット商品を繰り返し開発する仕組みを解き明かす

年間の新商品1000以上のなかで、3つしか生き残れないといわれる清涼飲料界で、連続してヒット商品を出し続けているキリンビバレッジの強さの秘密は何か?迫力のトップインタビューを通し、商品開発の仕組み・組織の強さを解明し繰り返しヒット商品を生み出すための「本質」を解き明かす

その仕組みについて、簡明に解説されている本である。

本書の中で、著者はこんな記載をしている。

"キリンビバレッジには失敗を許容する文化があるようである。"

もちろんこの文化は、経営用語でいうところの組織文化である。(組織文化については、以前の投稿記事『どういう組織文化をつくるか』、『どういう組織文化をつくるか(2)』を参照ください。)

会社担当者の商品企画の失敗についてのコメントが引用されている。

基本的には、僕らはレヴューを自分ではすると、何で失敗したのかと、というんで、会社は失敗は1回は許してくれると、違うところでまた違う1回は許してくれる。でも、同じところで2回は許してくれない、ということで、なぜ失敗したかの勉強だけはきちんとしましょうと、というのはやっていました。そこを、じゃあどうアレンジして、ということの積み重ねで、やっとここで7、8年たってからそれなりに当たる確率というか、世の中に残る確率が増えてきたなというかんじなんです。


ピーター・ドラッカー氏は強みを知るには期待と結果の照合をするというフィードバック分析しかないという。(投稿記事『また悪い頭を働かせまして』を参照ください。)

強みを勝ち取った企業にはこのフィードバック分析が個店・企業の仕組みに織り込まれいるようだ。

ぼくらのナ・トワ時代の失敗はこのレヴューにあたるフィードバックをしてこなかったことにあると反省している。抱え込んだPJTがどこまでできて、どこで失敗したのか、まったくわからないうちに消滅している。得たものは何もない。


だから、もう一度挑戦する必要があると思えるのだ。

本日からまほろばビジネスコンサルティングサービス(MBCS)スタートである。(登記は来週の予定)

「Be daring(勇気を持って)、Be first(誰よりも先に)、Be different(人と違ったことをする)」もて進んでいこう。(『Mの物語』)

メンバーの知合いの社長さんから時にいい話を伺うことがある。

地方都市の店から始まり、店を増やし、拠点を変え、東京に進出し、今や売上も利益も右肩上がりの成長を実現されている。

商品名やサービス名を聞くとご存知のこともあるかと思うのだが,メンバーの人柄でアドバイスいただいていることもあり、会社名等は記載はできないが。

この人の店を開くまでの過程も面白く、ピーター・ドラッカーやトム・ピーターズと合わせて読むこともあるのだが。

時間や資金や人をすごく大切にしながら、ビジネスを展開されてきたことが伺えるのだ。

特に人材の教育という話はかなり鮮明に印象づけられている。

またビジネスを切り開いていくなかで、若手のビジネスの参加を意識的に行わせている仕組みを作っていられる。

この社長の話は僕らのビジネスを構築していくなかでも吸収していることである。

10年後の僕たちが何により憶えられたいか。

自問自答しながら、僕らの物語(ビジネス)を作ることにトライしている。

こういう話は、商店街でも個店でも人でも共通していえることなのだろう。

活気のある商店街や個店や人は、人材をどう育て、若手にビジネスに参加させる仕組みが構築されているようにも思える。

人手不足と言われる商店街においては、時代の流れかあるいはこういう試みを怠ったのだろうかということはあるのだろうが、取り組まないと行けない課題の一つであろう。

若手(年齢ではない)が10年後の商店街のビジネスを考える。

ピーター・ドラッカーが「私の人生を変えた七つの経験」の"目標とビジョンをもって行動する"で取り上げられているヴェルディの言葉が印象的だ。

いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった。

少し見晴らしのいい場所に出て、元気よく、失敗して行こう。

再度挑戦すればいいのだから。




最近、マーケティングと販売について検討したことがある。

作った製品やサービスを売るのか、顧客の欲しい製品やサービスを提供するのか。

経営用語では前者はプロダクトアウトといい、後者はマーケットインというのだろうか。

検討している過程において、SWOT分析の必要性が強く認識された。

SWOT分析とは、足腰を鍛える運動ではなく、経営環境分析のツールのようだ。

S:強み
W:弱み
O:機会
T:脅威

マーケティングを考える際にはこのS:強みとO:機会をよく考える必要があるそうだ。

強みはあるのか、機会があるのか。

強みと思っていることが、市場からすると強みだとは思われてなく、機会があるとおもって、製品やサービスを売るのが、まったく機会はなく売れないということもあろう。

そして、市場から反応なく、だれも使えない製品やサービスが売れ残り、不良在庫の山となる。

この強みを知る方法は、ピーター・ドラッカーが『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))』で記載しており、投稿記事『また悪い頭を働かせまして』でも取り上げた。

マーケットについて、ピーター・ドラッカーがコクのあるコメントをしているということを紹介頂いた。

マーケティングは顧客からスタートする。顧客の現実、欲求、価値から始まる。「われわれの製品にできることはこれである」ではなく「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足はこれである」という。

 マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである。だが、ほとんどの企業が、マーケティングのことを製品を売り、引き渡すことによって報酬を得るための体系的な活動としか理解していない。

「販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。なんらかの販売は必要である。だが、マーケティングの理想は販売を不要にすることである」(『断絶の時代』)

ーマーケティングの理想は販売を不要にすることー

そういう言葉にコミットしてみたいものだ。

そう、まずはマーケットに出ることから始めよう。

ピーター・ドラッカー著『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))』(ダイヤモンド社)の「私の人生を変えた七つの経験」を再読している。

僕がこの本と出会ったのは2000年である。

監査法人の2年目であろうか。

監査法人に入ってあまりなじめずに、今後のことをいろいろ考えていた時期かと思う。

その頃と今では同じ本を読んでも、感じ方が変わっているのだろう。

ドラッカーの人生を変えた七つの経験のひとつ、"一つのことに集中する"というのが取り上げられている。

ちょうど8年前もこの言葉と文章に出会った記憶があるが、現実に何を勉強しようかと模索しているうちに日々の仕事に乗りこまれていったと思われる。

そして今、この言葉を読んでいて、ひとつのことに集中するということはすごく大事なことであると再認識しているのだが。

ドラッカーは記者時代に一時に一つのことに集中して勉強するという自分なりの方法を身に着け、その後もこの方法に基づいて勉強してきたという。

知識によって働く者は、いかにして成果をあげられるようになるか。いかにして変化を乗り越え、キャリアを通じ、また人生を通じて、成果をあげ続けるようになるか。これは一人ひとりの人間にとって最大の問題である。

一つのことに集中する。そういうことを継続してやっていくと何かが生まれてくるのかもしれない。




レイモンド・ローウィーの言葉だ。

が、何となく物足りなかった。けれども私はコツコツ働き続けた。―希望を持ちつつ。こうした努力の集中は結局は何か実を結ぶだろう。いつの日か、私がそれを仕遂げるのが自分の天命だと考えていることが出来るようになるだろう、私にはそう思えた。(『口紅から機関車まで』)

仕事を通じて人を見るということをしているようだ。

この人は責任感をもってやる人だなと感心することも多い。

会計士だから個人でやっていけると思う人も多いようだが、僕はそんなに世間は甘くないだろうと思う。自分自身も必至であり、いつ仕事がなくなる不安や、仕事のプレッシャーと戦いながら働いており、やはり独立している人も日々そういうことを思って働いているのだろうと考えるのだけれど。

やはり個人でやっていくということは会計士だからということの前に、世間のルールにそってしっかり働くことのほうが大事だなとたまに一緒に働くことがある会計士をみていてつくづく思う。

ピーター・ドラッカー著『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))』(ダイヤモンド社)に著者自身が"私の人生を変えた七つの経験"という章がある。

その一つに、「神々が見ている―フェイディアスの教訓」がある。

ギリシャの彫刻家フェイディアスが、見物人から見えない彫像の背中まで完璧に彫刻したことに対し、依頼人が文句を言ったことに対するフェイディアスの言葉である。

「そんなことはない。神々が見ている」

大学時代、戸井田道三の本で読んだのか、演者に聞いたのか忘れたが、能の舞も、自己と客以外にそういう意識をもって舞うと読んだか聞いた記憶がうっすらあるのだが。

日本人はこういう意識を一般的にもって仕事にあたるということはあまりしないのだろうと思うけれど、想像力の問題だろうか。

黒沢明監督が焼け野原を舞台に撮影する際、美術が用意した焼け野原を見てやり直しを命じたという話を聞いたことがある。

焼ける前の光景が美術には見えていなかったようだ。ここには道があり、家が立ち並び、ぱつんぽつんと電柱が立っている街が空襲にあった光景が。

こういうことをきっちりしないと映画がそく嘘になってしまうのだろう。虚構の世界を作ろうと思うと、よりリアルに世界を作っていくという地味な作業がいるのだろうか。

そしてそういう嘘は人は見抜くのだろう。

独立してから、神々が見ているという意識ほどおおげさではないが、人にまた世間に見られているということを意識するようになった。

僕の仕事が人にまた世間に見られている。そこにうそがあれば、明確に世間にうつるのだろう。

本人が本気でないのに、周りが本気になるはずはない。

本気でがんばっていれば、少しずつでも助けてくれる人がやってきてくれる。

だから、今ある仕事を本気で、またよりいい仕事ができるように努力したいと思うようになった。サボりの誘惑に鞭うって。

会計士だから個人でやっていけるという考えはまったくない。

不安のなかで、世間に認められるように今ある仕事をよりいいものにしたいと努力するのみだ。

そんなことをいち会計士の責任感ある仕事から思ってみました。



ブックマークされた記事

カテゴリ

最近のコメント

(RSS1.0/RSS2.0/Atom)

この日記のはてなブックマーク数

お問い合わせ

  • お問い合わせは下記のメールアドレスまでお願いいたします。
  •